プロフィール

自己紹介

 

名前:松岡慧

年齢:30歳

インドネシアはジャカルタにて事業を行なっています。

まだまだ、未熟ですが、日々挑戦中です。

 

 

 

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主にツイッターで発信しています。

インドネシアでの仕事のことや海外から見た日本のことについて呟きます。

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ユーチューブでも徐々に発信しています。

 

 

 

 

ざっくり経歴

 

学生時代豪州ワーホリ

1989年生まれ

小、中、高と野球に打ち込みその後大学に進学。

バイト、キックボクシングに打ち込み学業は全くせず。

将来のことを考えずにきたため、いざ3年生の就職活動前に、「自分は何をしたいのか」といテーマにぶち当たる。

「考える時間」を求め、大学を休学。「ここで人生を一気に変える」と強く決心し、単身ワーキングホリデービザを用い、渡豪。

ここで一気に人生が弾ける。沢山の面白い人たちと出会い、世界中に友達ができ、一気に視野が広がる。

 

筆者前列右端。豪州のムエタイジムにて。

 

合計1年半豪州での生活の中で英語を習得し、自分と向き合いあったが、相変わらず何をしたいいのかわからない。

が、とりあえず一度働いてみようと決心し帰国する。

就職するのは決めたものの具体的な業種、やりたいことははっきりと見えてない。

ただなんとなく海外で働こう!と思い立ち、グーグルに「海外求人」と検索し、全ての求人欄に履歴書を送る。

その中でたまたま一番早く対応してくれたインドネシアにある某日系新聞社とスカイプ面接「2週間後来れますか?」

ということで、インドネシアでの就職を決意。インドネシアの首都ジャカルタに降り立った。

 

 

インドネシアで就業

 

2013年インドネシアの首都ジャカルタ。

全てが衝撃的。

茹だるような暑さに世界最悪の渋滞と大気汚染。

すぐに業務も始まり一気に多忙な日々。

しかし会社で働くことに疑問を持ち始める。

純粋に将来像が見えない。

一生この会社で働くのか?

本当にここで働くことが自分にとって最良に選択だろうか?

就業して3ヶ月働、決心した。仕事を辞めて起業しようと。

理由は2つ

1成長のスピードが遅く感じた

2自分がどこまで行けて何ができるのかいますぐに確かめたかった

結局6ヶ月で退社。

またいつかこの国に帰ってくると心に決め帰国する。

 

どこまでも続く渋滞とクラクションの嵐

日本で起業

 

2013年9月。外国人旅行者の増加していた。

特になんのスキルもツテもなかったが、「都市部にはない、日本の原石の美しさの残る山村や漁村でのツアーをしよう」と決心。

しかしお金が全くなかったのでとりあえず資金を稼ぐことに。

英語を生かせる仕事をしようと思い求職活動。

条件は、稼げて、自由で、語学が生かせる仕事。と言っても中々そんな仕事見つからない。

そんなある日、浅草のマクドナルドで友人と食事していたら目の前に人力車が通りかかった。

これだ!

早速面接をしたら、完全歩合で歩合率良し、出勤退勤自由、外国人が腐る程いる。

完璧だ!

 

ここから人力車で稼ぎながら山村漁村を回っていく生活に。

しかしどこに行って誰に会えばいいか検討もつかない。

そんな中「地域おこし協力隊」の存在を知る。

早速、協力隊の方々にアポを取って、外国人観光客受け入れのご提案をさせて頂く日々へ。

今思えば本当よくこんなどこの馬の骨とも知らない、20代半ばの若造がいきなり「外国人の観光客に都会ではできない特別な体験を提供したい」なんて法螺のような言い分を聞き入れ協力いただいたと思う。

気づけば、長野、山梨、茨城の市町村で実際に外国人の方々をご案内し、特別な体験を提供できた。

そしてこの事業を通し、私自身が日本の原石の美しさに触れ、日本の文化、宗教間を深く体験することができた。

 

南信州でのツアー

伝統工芸品を海外へ

 

村々を周るうちに、多くの伝統工芸品や民芸品、古民家など素晴らしいものにあう機会があった。

しかし多くのそうしたものが、後継者不足により消滅の危機に立っていた。

「日本人が買わないのであれば、外国に持って行こう。」ツアーを通し、外国人の方が興味を持ってくれることは分かっていた。

豪州で日本食レストランを展開していた方に相談すると、「ウチで委託販売するよ」と言って頂き伝統工芸品の委託販売に取り組む。

焼き物、ろくろ細工、藍染、友禅、硯、和紙などの職人さんと話、委託販売を提案をする。

ここでもどこの馬の骨ともわからない私をしようして頂き、期間限定で豪州での販売をすることができた。

そしてこの活動を通し「着物」と出会う。

 

 

インドネシアで起業

 

伝統工芸品の工房を周る中で、着物と出会う。

そして着物が現在二束三文で市場に出でいることがわかった。

着物はその模様、織り、色合いに日本の文化が凝縮されていて、極めて分かりやすくストレート。

着物を使用したビジネスをしようと決意。

場所は?もちろん日本以外。

即決でインドネシアを決定。

理由は、いつかこのエネルギー溢れるインドネシアで思うがまま挑戦したい!と常に心の中にあったから。

あともう一つにの理由としては、Kimono × Islam 、のコンセプトが真っ先に思い浮かんだから。

2016年約3年ぶりにジャカルタの地に舞い戻る。

ここから浅草で人力車で稼ぎ、インドネシアで着物生地を使用したアパレルブランド開業の準備を始める。

いざ、着物生地を使ったアパレルブランドを始めようと思ってもそもそも、アパレルに関する知識もスキルもない。

とりあえず、インドネシアの人たちの嗜好を研究し、縫製工場でサンプル作りを開始する。

しかし、これもあるあるなのだが、

縫製が誰が見ても雑。

納期は遅れる。

意図してたものができない。

「いやいやそんこと起きる?」ってことが日常茶飯事で起こり、意味がわからない。

通算20件以上の縫製工場を渡り歩き、何とか最初のテスト販売を決行。

 

販売会にて

 

その後、テスト販売と修正を繰り返し、商品の世界観と品質を高め、2017年11月現在の妻ムフリハニと結婚し、

2018年1月に本格的に事業に取り組むべくインドネシアに拠点を移す。

アパレルブランド「Kimono no Hana」を開業。

2018年1年間を通し、オンラインとポップアップショップで商品の販売を繰り返しながら資金調達に取り組む。

 

購入頂いたお客様がメッカ巡礼に。 当社から思い浮かべていた、Kimono × Islam が具現化。

 

数人の個人投資家に事業投資の提案をし、クラウドファンディングに挑戦したがこれが上手くいかず。

2018年12月、最後の投資家へのプレゼンのため帰国、そしてこれも成らず。

この時点で事業資金はそこを尽き、四面楚歌。

少し悩んだが、家もビザもあと半年ある。半年やって何もなければそん時は日本に帰ろう。

半年間何とか妻とともに暮らしていけるだけの資金を作ってインドネシアで戻る決心をする。

ここから怒涛の人力車フィーバー。

朝から晩まで死ぬ気で働き何とか資金を作り2019年2月半ば再びインドネシアに舞い戻る。

 

インドネシアで再挑戦

 

因み2018年4月からジャカルタに住む日本人向けムエタイ教室を開いており、1ヶ月4万円程の収益があり、何とか食い繋いでいる。

ムエタイ教室も本格的に宣伝しながら、まずは財政難を克服すべき、義理の叔父の営むイベント会社にて日系企業向け営業活動始める。

アパレル事業を一時中止した事により一気に視野が広がり、インドネシアにおける様々なビジネスチャンスが見えてくるようになる。

そして、インドネシアの大きな問題解決に貢献したいと思う。

インドネシアにおいて大きな問題の一つに「健康問題」がある。

インドネシアの食事は、がっつり砂糖とがっつり油ギッシュ。

しかもほぼ完全なる車社会。

おまけに慢性的な運動不足。

で、どうなるかと言うと、肥満と生活習慣病である。

 

2019年5月。インドネシアの健康問題解決のための事業を行う事を決意。

現在企業向け健康福利厚生サービスの準備中。

 

 

 

インタビュー

 

アジア経済ニュースで記事になりました。

 

 

今後の活動

 

インドネシアで自由自在に思うがまま立ち回る。

引き続きインドネシアで「健康」をテーマにこの国の問題解決に取り組んでいく。

そして日本、インドネシアだけにこだわらず世界を棲家に事業を展開いく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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